2008年 01月 19日
ゴジラ生誕の地へ・・・円谷英二監督の足跡を辿って②~東宝撮影所
円谷プロに着く手前で不意に右へ折れ、細い路地を入ってみました。車が通れるかどうかといった位細い迷路のような路地を方向だけ見当をつけながら歩きます。
周りはみんな住宅ばかりなのに、ココだけ昔から畑のような感じがします。ただの畑ですからもちろんウルトラチックなものなど何もあるわけがないのですが、なんだか懐かしいような嬉しい気持ちになりました♪
そしてその畑の先すぐには・・・ありました!お目当ての東宝砧撮影所が!!
こちら側はいわゆる“裏”になると思うのですが、まわりはぐるっと柵が張り巡らされていて敷地の中には入ることはもちろん出来ませんが、円谷プロから歩いて5分も掛からない距離なのできっと円谷英二監督もこうして歩いて来て、この畑の前を通って撮影所に出入りしていたんではないかと思いました!
『今私が見ている風景を円谷英二監督もきっと見ていたに違いない・・・』そう思うと、何だか自然と顔が笑ってました(;^_^A
敷地沿いに正門の方へ行けるかと思ったのですが、無理そうだったので仕方なく世田谷通りまで出て、バス通り沿いに正門を目指します。
敷地面積2万4千坪もある広大な敷地の中には『仙川』と云う川が流れています。
源を小金井の学芸大付近に発する川でココ成城よりさらに南で野川に合流する川なのですが、この川より地名を取った調布市と世田谷区の境にある『仙川』と云う街に生まれ、高校1年まで住んでいたので、久しぶりに聞く、見る名前に無性に懐かしさを覚えました。
このスタジオでゴジラが街を破壊しモスラやラドンが大空を飛びまわったんですね・・・。
世田谷通りに一番近い、大丸ピーコックと云うスーパーの裏手にある第1ステージは昭和7年に完成したもっとも古いスタジオだそうですが、近々建て替えられてしまうんだそうです!?
学習院のピラ校といい円谷旧社屋といい、そしてこの昭和の映画史を支えてきたスタジオも悲しい結末が待っているようです・・・。
時代の流れなんでしょうけどとても残念な気がします。
敷地内を一回りした後駐車場へ戻り、こちらも消え行く運命にあるもう一つのスタジオへと向かいました。
つづく。